大判例

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和歌山地方裁判所 昭和46年(ワ)369号 判決

原告 上田暹

〈ほか二名〉

右原告ら訴訟代理人・弁護士 水田耕一

被告 和歌山県

右代表者・知事 大橋正雄

右指定代理人・土木部道路課主査 河合茂明

右訴訟代理人・弁護士 岡崎赫生

主文

一、被告は、

(一)  原告上田暹に対し金二、二三三、三八九円および内金二、〇三三、三八九円に対する昭和四五年八月二一日から、内金二〇〇、〇〇〇円に対する昭和四八年一月一七日から各完済に至るまで年五分の割合による金員

(二)  原告育代に対し金一、九六三、三八九円および内金一、七八三、三八九円に対する昭和四五年八月二一日から、内金一八〇、〇〇〇円に対する昭和四八年一月一七日から各完済に至るまで年五分の割合による金員

(三)  原告昌弘に対し、金二、〇七三、三八九円および内金一、八八三、三八九円に対する昭和四五年八月二一日から、内金一九〇、〇〇〇円に対する昭和四八年一月一七日から各完済に至るまで年五分の割合による金員

をそれぞれ支払え。

二、原告らのその余の各請求をいずれも棄却する。

三、訴訟費用はこれを一〇分し、その八を原告らの平等負担、その余を被告の負担とする。

四、この判決は、原告らの勝訴部分に限り仮りに執行することができる。

事実

第一当事者の求めた裁判

一、原告ら

1  被告は、

原告上田暹に対し金一二、一二二、九二一円および内金一〇、五四一、六七一円に対する昭和四五年八月二一日から、内金一、五八一、二五〇円に対する昭和四八年一月一七日から各完済に至るまで年五分の割合による金員、

原告上田育代に対し金一〇、六九六、六九一円および内金九、三〇一、四七一円に対する昭和四五年八月二一日から、内金一、三九五、二二〇円に対する昭和四八年一月一七日から各完済に至るまで年五分の割合による金員、

原告上田昌弘に対し金一一、二七一、六九一円および内金九、八〇一、四七一円に対する昭和四五年八月二一日から、内金一、四七〇、二二〇円に対する昭和四八年一月一七日から各完済に至るまで年五分の割合による金員、

の支払をせよ。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

との判決ならびに仮執行の宣言。

二、被告

1  原告らの請求をいずれも棄却する。

2  訴訟費用は原告らの負担とする。

との判決。

第二当事者の主張

一、原告ら

(請求の原因)

(一) 事故の発生

訴外上田シズ子は、左記事故の発生により、死亡し、原告昌弘は負傷した。

1、日時   昭和四五年八月二一日午前一一時一〇分頃

2、場所   和歌山県伊都郡かつらぎ町広口地内、県道粉河泉大津線上、南海バス折登停留所手前約一五〇メートルの通称ごばん石という左急カーブの地点。

3、被害車輛 原告上田暹所有の第二種原動機付自転車(和さ―一九六七号、以下本件自動二輪車という。)

4、事故の態様

亡シズ子は、本件自動二輪車の後部座席に原告昌弘を同乗させてこれを運転し、和歌山県伊都郡かつらぎ町大字妙寺の森本歯科医院より、同町大字平の自宅に向って本件道路を進行中、前記事故地点における上り勾配の左急カーブをほとんど曲り終ろうとする附近で、本件道路左側の山肌壁面より剥離して落下し、道路上に、その左側車道外側線より道路中央に向って数米にわたり散乱していた拳よりやや小さいものから径二〇糎程度の数個の石塊中のいずれかに乗り上げ、そのために前輪が浮き上ってハンドル操作の自由を失ったままよろよろと斜めに道路右側に向って進行したことにより、本件自動二輪車および同乗の原告昌弘ともども道路右端の高さ約四・五米の垂直な石垣から下方の穴伏川に転落した。

なお、右の石塊は、左急カーブ地点のカーブ末端附近に散乱していたものであるが、右カーブ地点には左側から山肌の岩石が張り出してきているため、シズ子は、直前においてしかこれに気付くことができず、しかも石塊が七つ、八つも散乱していたため、これに気付いても直前では避けることができなかったものである。なおまた、本件道路の左側山肌の壁面中落石の危険のある箇所は、殆んど大部分コンクリートのふきつけによる落石防止の措置が講じられているため、本件道路を走行する自動車の運転者において落石の危険を予測しながら走行する必要は一般にないのであるが、たまたま本件事故地点の左側山肌壁面のみは、岩石の節理および風化により岩石が剥離して落下しやすい状況にあるにもかかわらず僅かの区間ながら、あたかも塗り残したようにふきつけ工事がなされておらず、そのため本件事故の際落石を生じこれが右のように道路に散乱していたものである。

5、シズ子の死亡

シズ子は、右事故によって脳挫傷の傷害を受け、その場において間もなく死亡した(ただし、死亡の確認は、シズ子を同郡かつらぎ町大字笠田東所在の北林医院まで運んだうえ、同医院の北林昭三医師によってなされた。)

6、原告昌弘の負傷

原告昌弘は、右事故によって右頬部挫傷・右大腿部挫傷・右下顎骨亀裂骨折の傷害を受けた。

(二) 責任原因

1、本件道路の管理者

本件道路は、和歌山県告示をもって指定された県道であって、和歌山県知事の管理のもとにある。

2、本件道路の利用状況

本件道路は、和歌山県下紀ノ川沿岸地方と大阪・堺地方とを結ぶ主要道路であって、多数の車輛がこれを通行利用している。南海バスもかつらぎ町内笠田駅前から本件道路を利用して同町大字東谷字神野に向うバスを運行しており、右バスは本件事故地点を一日一〇往復(計二〇本)しているものである。

3、本件道路の危険性と管理上の瑕疵

(1) 本件道路の左側山肌壁面の危険性について

本件道路のうち、かつらぎ町上広口より折登バス停留所に至る一、〇〇〇米余の区間は、左側に切り立った岩石の壁面が迫っているが、この附近には、地質学上和泉砂岩または和泉層群と呼ばれる地層が分布しており、それは砂岩・砂質泥岩・頁岩・礫岩といった砕層性堆積岩から成り、これらの岩石から成る地層が互いちがいに重なり合った互層をなしているものである。右の地層は変形作用による褶曲や断層による切断のために異った岩質間にすべりを生じ、また岩石の節理および風化によりかなり複雑な破壊を来していて、土砂崩壊を生じやすい状態にある。そのため、本件道路においても、道路左側の山肌壁面に対するコンクリートの吹きつけ工事実施前においては、しばしば落石や崩土があり、道路の通行に危険が感じられていたものである。本件道路の管理者である和歌山県知事は、数年前、本件道路の前記区間につき、落石防止のため、左側山肌の壁面中落石のおそれのある箇所に対してコンクリートの吹きつけ工事を実施したが、本件事故地点における左側山肌の壁面については、道路上方三・四米の部分の岩石が極めて剥離しやすい状態にあり、落石の危険の大きいことが認められるにかかわらず、その直近までしてきた吹きつけ工事を右部分に延長せず、数米の区間にすぎない右壁面を岩石の露肌のまま放置したのである。しかも、右のように落石の危険が現在するにもかかわらず、落石注意の立札すら立てることをしなかった。

(2) 本件道路の右側川縁路端の危険性について

本件道路のうちかつらぎ町上広口より折登バス停留所に至る一、〇〇〇米余の区間の右側は、ゆるやかに蛇行する穴伏川に接しているが、川が道路に特に近接している地点では、ほぼ垂直な石垣が路端より下方に四・五米に及ぶ高さに築かれて断崖をなしているため、道路を通行する車輛にとっては、崖下に転落する危険が大きく、しかも転落すれば殆んど死を免れないという状況にある。

和歌山県知事は、数年前本件道路につき、路端から道路下への転落の危険を防止するため、川縁の路端に沿って所々にガードレールを設置したが、路端が高い石垣の断崖をなしている危険度の大きい箇所を幾つか看過してその設置をなさず、かえって道路からの落差の小さい、しかも道路下が畑や草むらに過ぎないような危険の少ない箇所にこれを設置するという愚を犯したのである。

これを本件事故地点についてみるのに、事故地点の右側川縁の路端約五〇米に及ぶ区間は、前記穴伏川が本件道路へ向い彎曲して張り出してきて、あたかも道路の裾を洗うが如く近接している箇所であるため、路端より川底にかけて高さ約四・五米に及ぶほぼ垂直の石垣が築かれており、かつ右地点は道路の急カーブ地点であるところから、道路を走行する車輛にとって崖下への転落の危険が大きく、しかも転落すれば死を免れない状態にあった。しかるに、和歌山県知事は前記のように本件道路の所々に、しかもかなり危険度の低い箇所にまでガードレールを設置したにもかかわらず、危険度の極めて高い本件事故地点の右側の約五〇米に及ぶ路端についてはこれを設置することなく放置したのである。殊に本件事故地点の左側山肌壁面が前記のように落石の危険のある状況に置かれていたところからして、自動車が落石に乗り上げてハンドルをとられたり、落石を避けようとして急ハンドルを切ったりした場合に、右側へ進行して路端より転落する危険を考慮すれば、なおさらのこと前記路端にはガードレールの設置が必要であったといわなければならない。

(3) 本件道路の管理責任

右述のように、本件事故地点には、本件道路の左側山肌の壁面につき落石防止の措置を講じ、また右側川縁の路端につき転落防止の措置を講ずる必要があったものであるが、本件事故発生の際には、右の両措置とも本件道路の管理者によって講じられていなかった。そのために、本件事故を惹起して、シズ子の死亡および原告昌弘の負傷を招来し、もってシズ子および原告らに対し甚大な損害を生ずるに至ったのである。これは国家賠償法第二条第一項にいう「道路の管理に瑕疵があったため他人に損害を生じたとき」に該当するから、被告においてシズ子および原告らが本件事故により被った損害を賠償する義務がある。

なお、昭和四六年四月一一日頃、原告暹およびその父上田重義の要請に基づいて和歌山県土木部および橋本土木事務所の担当者が本件事故地点を視察したが、視察者は直ちにガードレール設置の必要を認め、その直後である同月一八日、一九日の両日、それらの地点の右側川縁の路端約五〇米の区間につきガードレール設置の工事を施行した。右事実は、もともと右の区間にはガードレールなくしては、車輛転落の危険があったこと、もし被告において事前に右転落防止の措置を講じていれば、本件事故に際し、シズ子および原告昌弘は転落を免れえたものであることを物語っている。また、被告は最近に至って、本件事故地点附近の本件道路山側壁面中コンクリート吹きつけ工事未実施の部分に対しコンクリート吹きつけ工事を実施するべくその準備をととのえ、近々その着工を予定している。これらの事実は、本件道路左側の山肌部分には、崩壊、落石の危険があり、コンクリート吹きつけ工事の必要があったものであり、もし被告において本件事故前に右工事を実施していれば、本件事故の発生を防止しえたものであることを物語っている。

さらに、被告は、本件事故当時、本件事故地点を含む本件道路の山側の側溝が、山側壁面からの落石・崩土によって埋め尽された状態となっているのをそのまま放置し、溝さらえを行っていなかった。もし、被告が当時溝さらえを行って側溝中の土石を取り除いていたならば、本件事故の原因となった落石は、側溝中に崩落するに止まり、道路上に散乱することはなかったことは、右側溝の形状および大きさに照らして明白である。してみれば、シズ子がこれに乗り上げて本件事故に遭うこともなかったわけであって、被告はこの点においても道路管理上の責任を免れえないものというべきである。

(三) 損害

(1) シズ子につき生じた損害

1、逸失利益

シズ子は、本件事故による死亡のため、次のとおり得べかりし利益を失った。

(イ) 事業の種類・内容

シズ子は、伊都郡かつらぎ町大字平三四四番地の住所の近辺において、夫である原告暹と共同して農業を営み、一、六六〇平方米の田において米作を、二一・二三〇・〇五平方米の果樹園(うち九・九四六平方米は登記上の地目は畑、うち八三三・〇五平方米は登記上の地目は宅地、うち一〇・四五一平方米は、登記上の地目は山林)において、桃二三五本、冨有柿二九六本、串柿用青曽木五五本(いずれも古木)、密柑一、六〇〇本、プラム七〇本による果樹園芸を行い、これにより年間計三、〇六七、六八〇円の収益を得て、シズ子夫婦のほか、原告暹の父上田重義(明治三四年八月一日生)および母美智代(明治四一年一一月二九日生)ならびにシズ子夫婦間の長女育代および長男昌弘の生計を維持してきたものである。

シズ子は、幼少より聡明であって、かつ実行力に富み、体力、健康にもすぐれていたため、女性ながら一家の主柱として、右の農業経営に当たり、耕耘・除草・施肥・消毒・剪定・継木・収穫等のスケジュール、これらに要する資材の購入・農作業に必要な設備や材料の田畑への事前の配備等を自ら決定・実行し、文字どおり朝早くから夜遅くまで通常人の数倍も骨身を惜しまずに働いてきたのであって、近在の人からは上田家の大黒柱と異口同音に称揚されていたものである。

(ロ) 推定余命

シズ子は、昭和二年八月二一日生れで、事故当日に満四三年に達した極めて頑健な女性であったから、本件事故にあわなければ、なお三〇・〇二年の余命を有していたものと推定される(昭和四四年簡易生命表による)。

(ハ) 推定稼働可能期間

シズ子が死亡当時営んでいた前記事業の種類・内容および右推定余命に照らして、同人は、本件事故にあわなければ、なお満六三才に達するまで二〇年間は稼働して、前記死亡当時におけると同様の収入を得ることができたものと推定される。

(ニ) 得べかりし推定収益額

昭和四五年度の前記農業経営に関しては、シズ子の死亡時において、収穫のみを残して殆んどすべての農作業を終っていたものであるところ、同年度において右農業経営により得られた収入は、左記のとおり、合計金三、三〇三、一八〇円である。これに対し、同年度中に右農業経営のため支出を要した経費は、左記のとおり、合計金二三五、五〇〇円であるから、右収入から右経費を控除すれば、純収益は金三、〇六七、六八〇円となる。

しかして、右純収益は、原告暹との共同経営により得た収入であるから、シズ子の貢献度を二分の一とみるならば(実際は、これよりはるかに多く見積られるべきである)、シズ子の収益は金一、五三三、八四〇円となり、シズ子は、本件事故に遭わなければ、右金額を下らない収益を今後も毎年得ることができたものと推定される。

(a) 農業経営により得られた収入

桃の売上による収入    金四三万八、四三九円

プラムの売上による収入   金五万二、六二五円

冨有柿の売上による収入  金六〇万六、三三五円

串柿の売上による収入  金一八九万九、八三一円

みかんの売上による収入  金一八万八、九五〇円

米の収穫による収入    金一一万七、〇〇〇円

総収入         金三三〇万三、一八〇円

(b) 農業経営のために支出した経費

肥料代金              金一二万円

農薬代金               金三万円

計                 金一五万円

なお、串柿については、その多くが畑の縁にあるため肥料を要せず、また畑から離れたところにあるものも、ごく僅かの肥料で足り、農薬はこれを全く必要としないから、殆んど経費を要しないで収穫が得られるものである。

箱およびケース代      金五万五、五〇〇円

果実はいずれも木箱ないし段ボールのケースに入れて出荷した。それに要した木箱およびケースの購入代金である。

運送費用               金三万円

箱ないしケースに詰めた果実は、いずれもかつらぎ町広口所在のむつみ運送に青果市場までの運送を依頼した。右運送費である。

(ホ) 控除すべき生活費

シズ子の生活は、農家のこととて質素そのものであり、主食および野菜はすべて自給であり、魚は三日に一度売りに来るのを家族全体で五〇〇円ないし一、〇〇〇円程度買い入れ、肉はめったに食べず、衣服は殊にシズ子の場合どこへ行くにも殆んど野良着で押し通し、髪もパーマネントをかけたことがないという状態であったため、シズ子の生活費はいかに多く見積っても一月当り六、〇〇〇円したがって一年間に七万二、〇〇〇円を超えなかったものということができる。

(ヘ) 得べかりし利益の総額

以上の事実に基づいてシズ子の得べかりし利益の総額を計算すれば、その現在額(本件事故の時点における)は、次のとおりとなる。

(1,533,840円-72,000円)×13.616(20年間の民事法定利率によるホフマン式計算の係数)=19,904,413円(円未満切捨)

2、慰藉料

シズ子は、女性ながらも一家の主柱として夫とともに農業にいそしみ、夫の両親の信頼も厚く、家族全員と至極円満かつ幸福な生活を送ってきたものであるところ、本件事故によってその生命を奪われたため、なお今後生存しえたであろう三〇年間に及ぶ生活の喜びを奪われたわけである。また、二人の子供、すなわち原告育代および同昌弘がまだ幼少であるところから死に際してその将来を気遣う気持はいかばかりであったかと推測される。これらの事情を考慮するとき、シズ子の精神的苦痛に対する慰藉料の額は金二〇〇万円を下らない。

(2) 原告暹に生じた損害

1、慰藉料

原告暹は、シズ子と一一年七ヶ月にわたる婚姻生活を送り、農業経営および家庭生活両面における苦楽を共にしてきたものであるが、シズ子の才能・実行力・勤勉さ・男勝りの体力等からして専ら同女を頼りとしてきたものであったため、同女の突然の死は、原告暹の精神に甚大な衝撃を与え、ために同原告はシズ子の死後昭和四六年二月まで約半年にわたって殆んど仕事が手につかず、寝たり起きたりという半病人の生活を送る有様となったのである。この精神的苦痛は金銭に代えられるものではないが、あえて評価すればこれに対する慰藉料は金三〇〇万円を下らないものである。

2、葬儀費用

原告暹は、シズ子の葬儀を営み、葬儀費用として、読経料五一、〇〇〇円、位牌料二〇、〇〇〇円、葬具料三六、〇〇〇円、葬儀用食費計一三三、二〇〇円、合計金二四〇、二〇〇円を支出した。

(3) 原告育代に生じた損害

原告育代は、幼少の身であって母親の愛情を最も必要とする年令にあるにもかかわらず、本件事故によって突然母を失ない、その精神的支柱を失ったものである。今後母のいない淋しさを痛切に感ずることと思われる。右精神的苦痛に対する慰藉料は金二〇〇万円を下るものではない。

(4) 原告昌弘に生じた損害

1、母の死亡による慰藉料

原告育代について述べたところと同様である。

右精神的苦痛に対する慰藉料は金二〇〇万円を下るものではない。

2、自己の負傷による慰藉料

原告昌弘は、本件事故に際し、母の死を眼前にして、幼少の身でありながら自らの負傷にも屈せず、山路を駆けて自宅まで事故を通報したのである。

その後、かつらぎ町大字笠田東所在の北林医院においてその負傷につき診療を受け、以後も通院して治療を続け、全治するまでに三月を要した。しかしながら、現在も、しばしば負傷した右大腿の部位に痛みを覚え、また月数回鼻血が出るという後遺症に悩まされている。右の諸点を勘案するとき、原告昌弘が本件事故による負傷により被った精神的苦痛に対する慰藉料は金五〇万円を下らないものである。

(5) 相続関係

原告暹はシズ子の夫として、原告育代および同昌弘はそれぞれシズ子の長女および長男として、各自三分の一の割合でシズ子の権利を相続した。したがって、シズ子が本件事故により取得した被告に対する前記損害賠償請求権も右の割合で原告らに帰属した。

(6) 弁護士費用

原告らは、前記の如く、自己固有の損害賠償請求権およびシズ子より相続した損害賠償請求権を有するものであるが、昭和四六年三月頃、和歌山県土木部および同県橋本土木事務所を通じ、和歌山県知事あて原告暹名義の「損害金要求書」をもって被告に対し損害賠償の請求をしたが、担当者は予算がないので訴訟を提起しなければ解決の方法がないとの理由で右請求を拒絶した。

そこで、原告らは、やむなく被告に対し訴訟によって損害賠償の請求をすることとし、同年一一月三日右訴訟の提起と追行を第一東京弁護士会所属の弁護士水田耕一に委任し、報酬として認容額の一五パーセントを支払う契約を締結した。右弁護士報酬額は、本件請求額に照らして金四、四四六、六九〇円となるところ、これは原告らが本件損害賠償請求をするための不可欠の費用であるから、これまた本件事故により被った損害にほかならない。

(四) 原告らの取得した損害賠償債権

原告らが取得した本件事故による損害賠償債権は次のとおりである。

(1) 原告暹

1、シズ子より相続したもの

前記(三)の(1)の1の逸失利益金一九、九〇四、四一三円および同(1)の2の慰藉料金二、〇〇〇、〇〇〇円の各三分の一、          合計金七、三〇一、四七一円

2、原告暹固有の慰藉料                 金三、〇〇〇、〇〇〇円

3、葬儀費用                        金二四〇、二〇〇円

4、弁護士費用

右1ないし3の金額の一五パーセント相当額        金一、五八一、二五〇円

5、以上合計                     金一二、一二二、九二一円

(2) 原告育代

1、シズ子より相続したもの

前記(三)の(1)の1の逸失利益金一九、九〇四、四一三円および同(1)の2の慰藉料金二、〇〇〇、〇〇〇円の各三分の一           合計金七、三〇一、四七一円

2、原告育代固有の慰藉料                金二、〇〇〇、〇〇〇円

3、弁護士費用

右1および2の金額の一五パーセント相当額        金一、三九五、二二〇円

4、以上合計                     金一〇、六九六、六九一円

(3) 原告昌弘

1、シズ子より相続したもの

前記(三)の(1)の1の逸失利益金一九、九〇四、四一三円および同(1)の2の慰藉料金二、〇〇〇、〇〇〇円の各三分の一           合計金七、三〇一、四七一円

2、原告昌弘固有の慰藉料(シズ子の死亡によるもの)   金二、〇〇〇、〇〇〇円

3、同じく慰藉料(自己の負傷によるもの)          金五〇〇、〇〇〇円

4、弁護士費用

右1ないし3の金額の一五パーセント相当額        金一、四七〇、二二〇円

5、以上合計                     金一一、二七一、六九一円

(五) よって、原告らはそれぞれ被告に対し(四)記載の当該金員および弁護士費用を除く金員については本件事故発生日である昭和四五年八月二一日から、弁護士費用については事故発生日の後であり弁論終結の日の翌日である昭和四八年一月一七日から各完済に至るまで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

(抗弁に対する答弁)

(一) 被告主張のうち、シズ子が本件事故の際合羽を着ていたこと、および原告昌弘を本件自動二輪車の荷台後部座席に同乗させていたことは認めるが、その余の主張は争う。

二、被告

(答弁)

(一) 請求原因第一項は不知。もっとも、原告ら主張の事故現場の地形、シズ子の死亡および原告昌弘の負傷の事実だけは認める。

(二) 同上第二項は、

1の本件道路管理者の点および2の本件道路の利用状況に関する主張は認める。

3の(1)のうち、原告ら主張の区間にはコンクリート吹きつけ工事を実施したが、原告ら主張のように本件事故現場附近の数米の区間には吹きつけ工事を実施していなかった点は認めるが、その余は争う。

3の(2)のうち、原告ら主張のように穴伏川の川縁に沿ってガードレールを設置した若干の地点においてガードレールを設置しなかった箇所もある点は認めるが、その余は争う。

3の(3)の主張は否認する。

(三) 同上第三項の主張は争う。

(四) 同上第四項の主張は争う。

(五) 同上第五項の主張は争う。

(主張)

(一) 被告は、本件道路沿いの山に対しては、その山肌が崩壊する危険のある箇所に対してコンクリート吹きつけ工事をして、危険防止の措置をとってきたものである。

その余の吹きつけ工事をしなかった箇所は、その山肌が比較的硬度の地層より成り、地肌の崩壊の危険性が小さいと認められたから、右のコンクリート吹きつけ工事を後廻にしたものである。また、本件道路の川縁のうち、ガードレールを設置しなかった箇所があるのは、地形・道路幅員等から通常推察しうる転落事故の危険性が大きく、事故防止の必要な所を先にしたまでであって、右設置を後廻しにしても相当と考えたからに過ぎない。

(二) そもそも、国家賠償法第二条にいう、道路の管理の瑕疵とは、後発的に道路が通常予想される安全性を欠くに至った場合のことをいうのであって、無謀運転・よそ見運転その他道路交通法違反や社会通念上容認できない交通状況まで予想して、道路の安全を確保するのを義務づけしているものとは解し得ない。およそ行政機関としては、すべて予算の制約を受けるものであるから、山間・津々浦々に至るまで、完璧に舗装され、すべてにガードレールを設置することなどは、とうてい期待し得べきものでない以上、道路の安全性の欠如、危険の蓋然性が一定の程度以上にわたる場合に限って管理責任を負うべきものというべきであろう。

したがって、原告ら主張のように、本件道路上に仮りに石塊が転っていたとしても、本件道路が比較的通行量の多い道路であるにかかわらず本件以外に他に崩落石塊のために事故を惹起した事もなければ、ガードレールがないため転落した車もないことよりすれば、被告の管理責任は否定されるべきものである。

(三) 仮りに百歩譲って、本件落石の存在およびガードレールの未設置が道路管理の瑕疵に該当するとしても、シズ子および原告昌弘の死傷との間には相当因果関係はない。

本件落石のあった当時、他の通行車には何ら事故の発生がなかったこと、また事故現場附近の道路幅員が七米近くあり、原告ら主張の落石のあった地点とシズ子が穴伏川に転落した地点との距離関係から考えると、本件事故は原告ら主張のような本件道路管理の瑕疵が原因ではなく、シズ子が折柄の降雨に合羽を着用して前方注視が困難な状況であるにかかわらず、車の荷台に原告昌弘を同乗させ敢えて前方不注視のまま盲運転に近い状況下で本件自動二輪車の運転を継続した、一方的な過失に起因するものといわねばならない。

(四) 更に、仮りに右主張が認められないとしても、本件事故の発生については、シズ子の重大な過失に起因するものであるところ、右シズ子の過失は原告らにとっても自己の過失と同視すべき関係にあるから、本件損害額を算定するに当っては、大巾な過失相殺がなされるべきものである。

第三証拠関係≪省略≫

理由

一、事故の発生

≪証拠省略≫を綜合すると、上田シズ子は、昭和四五年八月二一日、伊都郡かつらぎ町大字妙寺森本歯科医院で原告昌弘とともに治療を受けた後、同日午前一一時二〇分頃、本件自動二輪車を運転し、その後部座席に原告昌弘を同乗させて、同医院より同町大字平の自宅に向け、県道泉大津粉河線を北上し、南海電鉄バス笠田駅前東谷線の折登停留所南方約一五〇米の通称ごばん石という上り勾配、左折カーブの地点にさしかかりこれを曲ろうとしたところ、同所の彎曲点附近に、道路左側の山肌の壁面より剥離して落下し、散乱していた拳大のものから直径約二〇糎の石塊のうちの数個に乗り上げ、ハンドル操作の自由を失い、道路を右方斜めに向って約三〇米余進行した後、道路右端より道路外へ逸脱し、同乗の原告昌弘および本件自動二輪車もろともに道路東側を南流する高さ約四・五米下方の四十八瀬川(俗称穴伏川という)へ転落し、よってシズ子は脳挫傷の傷害を受けて間もなくその場で死亡し、原告昌弘は右頬部・右大腿部挫傷等の傷害を負うに至ったものであることが認められ、右認定を左右するに足る証拠はない。(もっとも、本件事故地点の道路が県道であること、原告ら主張のように、シズ子が死亡したことおよび原告昌弘がその主張の内容の傷害を負った事実は、当事者間に争いがない。)

二、責任

(一)  まず、本件道路が泉大津・粉河線と通称される県道であること、そして和歌山県知事の管理のもとにあることは当事者間に争いがない。また、原告らが請求原因第二項の2で主張する本件道路の利用状況についても当事者間に争いがない。

(二)  本件道路上の本件事故現場附近の危険性

1、本件事故現場附近の地形等

≪証拠省略≫を綜合すると、

(1) 本件事故現場は、前記のとおり県道泉大津・粉河線の南海電鉄バス笠田駅前東谷線の折登停留所南方約一五〇米の地点である。

附近の道路は、巾員約七・三米ないし七・七メートルの舗装された道路で、両側に白線の外側線が引かれており、白線内の巾員は約五・八米ないし六・四五メートルで、西側には巾約〇・三五米、深さ約〇・四〇米のコンクリートの側溝がある。

また、附近は同町名手・笠田方面から北上して、約一〇〇分の一〇の上り勾配となっており、S字型に蛇行する恰好であり、事故地点は左折のカーブ(半径約二六米)をなしている。

(2) 本件道路のうち、かつらぎ町上広口より本件道路地点をはさんで北方の前記折登停留所に至る約一、〇〇〇米の間は、その左側(西側)に高く切り立った山の岩石の壁面がほぼ垂直に迫っており、その裾を蛇行する恰好で本件道路が北上している。

(3) 本件道路右側(東側)は、和泉山脈より南流する四十八瀬川(俗称穴伏川)となっており、水量はさして多くはないが、川底にはいたるところ大小の岩石が露出している。事故地点附近は、川が道路に近接し、路端から川底まで石垣がほぼ垂直に築かれ、断崖状をなし、高さは約四・五米に及んでいる。

以上の事実が認められる。

2  左側山肌壁面の危険性

≪証拠省略≫を綜合すると、

(1) 本件道路の本件事故地点附近には、地質学上和泉砂岩または和泉層群と呼ばれる地層が分布し、それらは砂岩・砂質泥岩・頁岩・礫岩などの砕層性堆積岩から成り、これらの地層が互層を形成しているため、一般に風化等により土砂崩壊を生じ易いといわれているところである。従前においても、附近の道路左側の壁面の岩石や土砂の崩壊・あるいは大小の落石があり、特に降雨の後にはしばしば崩土・落石が路上を掩うこともあった。

(2) 本件事故の際も降雨があり、前記左カーブの彎曲点附近の道路上に左側山肌より土砂の崩落があり、右土砂は西側の側溝を埋めた後側溝端より道路内へ長さ四米余、巾三米余の範囲で拡散し、大は直径一〇ないし二〇糎の石から小石に至るまでの石塊が数十個散乱していた。

以上の事実が認められる。

右事実によれば、本件道路は、従前より、本件事故地点附近において、西側の山肌壁面からの落石や崩土によって道路が阻塞されることがあり、そのため人車の交通が阻害される危険があったものといわねばならない。

3  道路東側の川縁路端の危険性

前記の如く、本件道路の東側には、道路に沿って四十八瀬川が南流しており、道路に近接した本件事故地点附近では、道路と川との間は、石垣で築かれた、ほぼ垂直の断崖状をなし、高さは約四・五米もあり、川には岩石も多く露出しているのであるから、道路を通行する車輛にとっては転落による死傷の危険が存したことは明らかである。

のみならず、前記のように、西側山肌の壁面からの落石や崩土がある場合、本件道路通行中の車輛がこれに乗りあげてハンドルをとられたり、また落石や土砂を避けようとして急にハンドルを切ったりすると、往々車は東側へ進行し、その路肩より逸脱して川へ転落することが多くなるであろうことを考えると、西側の山肌からの落石および東側の川への転落という両者が相俟つときは、本件道路の危険性は一層増大するものといわねばならない。

(三)  和歌山県知事の道路管理上の瑕疵

道路管理者は、当該道路を常時良好な状態に保つように維持し、修繕し、もって一般交通に支障を及ぼさないよう努めなければならないことはいうまでもない。本件道路の管理者である和歌山県知事は、本件道路が従前より前叙のような危険性を有していたのであるから、本件道路西側の落石や土砂崩壊のおそれのある箇所にはその防止のため、山肌にコンクリートの吹きつけ工事を実施するなどするのは勿論、落石・崩土のあった場合にはこれを速やかに除去し、交通に支障を及ぼさないようにすべきであった。また、本件道路東側の路肩については、道路外逸脱・川への転落防止のため、その危険のある箇所にガードレールを設置し、道路の安全性を確保・維持すべきであったのである。

しかるに、≪証拠省略≫を綜合すると、和歌山県知事は、数年前、同郡かつらぎ町上広口より前記折登バス停留所に至る約一、〇〇〇米の区間の、本件道路西側の山肌壁面のうち落石のおそれのある箇所に対しコンクリートの吹きつけ工事を実施したが、本件事故地点である前記カーブを中心とした数米の区間は、右壁面に吹きつけ工事をせず、岩石を露肌のまま放置し、そのため本件事故時、前記のように落石ないし土砂崩壊があり、本件道路の交通に支障を生じさせたこと、また同県知事は、数年前本件道路の前記川に沿った路肩の所々へガードレールを設置したが、道路からの落差が低く、しかも道路下が畑や草むらに過ぎない箇所にまでガードレールを設置しながら、前叙のような危険状況にあった本件事故地点附近約五〇メートルの区間については、ガードレールを設置せず(ただし、本件事故後ガードレールを設置した)放置していたことが認められ、右認定を左右する証拠はない。

以上認定の事実によれば、本件道路が本件事故当時道路として具有すべき安全性を欠いていたこと明らかであり、道路管理者である和歌山県知事に道路管理上の瑕疵があるものといわねばならない。

そうすると、本件事故は、和歌山県知事の道路管理の瑕疵に基因して惹起されたものというべく、本件道路の設置・管理の主体である被告は、亡シズ子および原告らが本件事故により被った損害を賠償すべき義務があるといわねばならない。

三、被告の主張に対する判断

(一)  被告は、原告ら主張のように、本件道路西側の山肌に吹きつけ工事をせず、また道路端にガードレールを設置しなかったとしても、それは道路管理者である和歌山県知事の道路管理の瑕疵に該当しない。仮りに右が道路管理の瑕疵になるとしても、本件事故とは因果関係がない旨主張するが、その然らざることは叙上のとおりであるから、右主張は理由がない。被告の主張するような予算不足の理由をもってしても、道路管理の瑕疵の成立を阻却するものではない。

(二)  過失相殺の主張

≪証拠省略≫を綜合すると、事故現場附近の道路の巾員は、前記のとおりで、かなり広く、事故地点の落石の拡散の範囲・程度も前記のとおりで、事故地点の道路全面を厚く掩っていたわけではなく、東側(右側)にはなお約二・五米の落石に阻害されないで通行できる部分が残っていたこと、また、同所は左折のカーブとはなっているが、カーブに従って運転をして行くとき前方の見透しは必ずしも悪くないところであること、そして右の落石はシズ子が事故日の早朝前記森本歯科医院へ赴く際既に事故地点の道路に散乱していたと推認されるから、シズ子は右医院からの帰途は当然右落石の散乱に注意して然るべきであると考えられること、ところで、シズ子は、前叙のように、前記カーブ彎曲点附近に散乱する落石の数個に乗り上げた後更に三〇米余も走行して東側の四十八瀬川に本件自動二輪車もろとも転落していること、しかして、事故当日は朝から雨で、前記医院からの帰路もかなりの降雨であったので、シズ子も、そして同乗の原告昌弘もともに雨合羽を着用し頭巾を冠って乗車・運転に当ったこと(原告昌弘は当時小学三年生であったから、シズ子の運転についてある程度補助的役割を果すことが可能であったと考えられ、またシズ子は同乗者がいるのであるから独りで運転する場合とは違い、二輪車の前輪が浮き上り易いなど若干運転しにくい状態であったと考えられる。)が認められる。≪証拠判断省略≫

以上認定の諸点を綜合すると、シズ子は事故地点附近の落石に気づくのがおくれたものであり、そして散乱する落石の数個に乗り上げてハンドル操作の自由を失った後もこれを立て直すのに手間どり、かつ前方の注視に欠くるところがあったため進路を誤まり道路より逸脱し、川へ転落したものと見るのが相当である。

したがって、シズ子の前方不注視・運転操作の誤りという過失も亦本件事故を招来する重大な一因となったものというべきであり、事故発生に寄与した割合は、八〇パーセントと認めるのが相当である。

四、損害

(一)  シズ子につき生じた損害

1  逸失利益

(1) ≪証拠省略≫を綜合すると、シズ子は、生前、伊都郡かつらぎ町大字平三四四番地の住所地附近で、夫である原告暹と共同して農業を営み、原告らが請求原因第三項の(1)の1の(イ)で主張するように、米作のほか、専ら果樹園に桃・柿・密柑およびプラムを植栽して、いわゆる果樹園芸により多大の収益をあげていたこと、そして、右農業経営に当っては、シズ子は、耕耘・除草・施肥・消毒・剪定・継木・収穫等の仕事に従事するのは勿論、またこれらに要する資材の購入等にも自ら当るなどし、上田家の主柱として働き、シズ子夫婦のほか、長女である原告育代、長男の原告昌弘、原告暹の父上田重義および母美智代の生計を支えてきたものであることが認められる。

(2) ≪証拠省略≫によれば、シズ子は昭和二年八月二一日生れの女性で、事故当日満四三年に達したものであること、生前は極めて頑健であり、これといった病気もなかったことが認められる。

そうすると、シズ子は、昭和四四年簡易生命表によれば、なお三〇・〇二年の平均余命を有していたものと推定される。

(3) シズ子が本件事故当時営んでいた前叙のような事業の種類・内容・健康状態および右推定余命に徴すると、同女は、本件事故に遭わなければ、なお六三才まで二〇年間は稼働して前記死亡当時におけると同様の収入をあげることができたものと推認することができる。

(4) 得べかりし推定収益額

(い) ≪証拠省略≫を綜合すると、原告上田暹家の昭和四五年度における農業経営から得られた収入は、左記のとおり合計三、三〇三、一八〇円であることが認められる。≪証拠判断省略≫

(イ) 桃を青果市場等へ、出荷した売上額より八パーセントの手数料を控除した後の手取残高                合計金四三八、四三九円

(ロ) プラムの売上高(いずれも、右のとおり手数料を控除した残高、以下同じ。)                     合計金五二、六二五円

(ハ) 冨有柿の売上高        合計金六〇六、三三五円

(ニ) 串柿の売上高       合計金一、八九九、八三一円

(ホ) みかんの売上高        合計金一八八、九五〇円

(ヘ) 米の収穫による収入        金一一七、〇〇〇円

(ト) 以上総合計          金三、三〇三、一八〇円

(ろ) ≪証拠省略≫を綜合すると、原告上田暹家が昭和四五年度中に前叙の農業経営のために支出を要した経費は、左記のとおり、原告ら主張のような費目・内容のものであり、合計金二三五、五〇〇円であったことが認められ(る。)≪証拠判断省略≫

(イ) 肥料代              金一二〇、〇〇〇円

(ロ) 農薬代               金三〇、〇〇〇円

(ハ) 出荷用の木箱および段ボールケース代 金五五、五〇〇円

(ニ) 運送費用

ただし、伊都郡かつらぎ町広口所在のむつみ運送に依頼し、集荷場所より各青果市場まで運送して貰った運送費            合計金三〇、〇〇〇円

(ホ) 以上総合計            金二三五、五〇〇円

(は) 原告上田暹の農業は、前叙のように、原告暹とシズ子夫婦の共同経営によって維持されてきたものであるから、右収益に対するシズ子の貢献度は、原告暹との関係において二分の一とみるのが相当である。

そうすると、シズ子の年間収益は金一、五三三、八四〇円となり、本件事故がなければ右額の収益を今後二〇年間にわたり毎年得ることができたものと推認される。

(に) 控除すべき生活費

≪証拠省略≫によると、原告ら主張のようにシズ子は生前極めて質素な生活を送っていたことが認められる。しかしながら、シズ子は前叙のように事故当時歯科医に治療に通っていたのであり、また≪証拠省略≫によると、原告上田暹家では本件自動二輪車はシズ子が専ら乗車して日常生活や農業経営の用に供していたものであることが認められるところ、これら健康維持のための費用やガソリン代等(これらも日常生活上必要な経費である)のことをも考慮に入れると、シズ子の事故当時における生活費は一ヶ月に一〇、〇〇〇円、したがって一年間に一二〇、〇〇〇円を下らなかったものと認めるのが相当である。

(ほ) 得べかりし利益の総額

以上の事実に基づいてシズ子の二〇年間に得べかりし利益の総額の現価を算出すると、次のとおり金一九、二五〇、八四五円(円未満切捨)となる。

(1,533,840円-120,000円)×13.616(年5分の割合によるホフマン式計算係数)=19,250,845円(円未満切捨)

しかして、前叙のようなシズ子の過失を斟酌すると、シズ子が本件得べかりし利益について取得した損害賠償債権は、右額のほぼ二割に当る金三、八五〇、一六九円と認めるのが相当である。

2、慰藉料

シズ子が原告上田暹家の主婦として、また夫暹とともに農業経営の主柱として働き、家族六人の生活を支えてきたものであることは前叙のとおりである。右事実のほか、シズ子の平均余命・本件事故の態様・シズ子の過失その他本件諸般の事情を綜合すると、シズ子が本件事故によって自己の生命を喪ったことに対する精神的苦痛は甚大であり、これを慰藉するには、金六〇〇、〇〇〇円を以ってするのが相当と認められる。

(二)  原告暹に生じた損害

1  慰藉料 金五〇〇、〇〇〇円

原告暹がシズ子の夫であること、シズ子が一家の主婦として、また農業経営の主柱として原告暹と共同して上田暹家のために稼働したことは前叙のとおりである。右事実のほか、本件事故の態様・シズ子の過失その他本件諸般の事情を綜合すると、原告暹が妻シズ子を喪ったことによって甚大な精神的苦痛を蒙ったであろうことは推測に難くないところ、右精神的苦痛を慰藉するには金五〇〇、〇〇〇円を以ってするのが相当と認められる。

2、葬儀費用 金五〇、〇〇〇円

≪証拠省略≫を綜合すると、原告暹はシズ子の死に際し葬儀を営み、その費用として、ほぼ原告暹の主張する額に近い支出を余儀なくされたものであることが認められる。しかして、シズ子の生前の職業や社会的地位等から考えると、右葬儀費用のうち本件事故と相当因果関係内にあるのは、二〇〇、〇〇〇円程度というべく、シズ子の前叙過失を斟酌すると、原告暹が葬儀費用について取得した損害賠償債権は、金五〇、〇〇〇円と認めるのが相当である。

(三)  原告育代に生じた損害

原告育代がシズ子の長女であることは前叙のとおりである。原告育代が母を喪ったことにより甚大な精神的苦痛を蒙ったであろうことは推測に難くないところである。そして、本件事故の態様・シズ子の前叙過失その他本件諸般の事情を斟酌すると、右精神的苦痛を慰藉するには金三〇〇、〇〇〇円を以ってするのが相当と認められる。

(四)  原告昌弘に生じた損害

1  原告昌弘がシズ子の長男であることは前叙のとおりであり、原告昌弘が母を喪ったことにより甚大な精神的苦痛を蒙ったであろうことは推測に難くないところである。そして本件事故の態様・シズ子の前叙過失その他本件諸般の事情を綜合すると、右精神的苦痛を慰藉するには金三〇〇、〇〇〇円を以ってするのが相当と認められる。

2  ≪証拠省略≫を綜合すると、原告昌弘が、本件事故により、前叙のように右頬部・右大腿挫傷・右下顎骨亀裂骨折の傷害を受け、約一週間通院し、約二ヶ月間硬い食物を十分咀嚼することができず、その後も時折鼻血を出したり頭痛がしたりするなどの後遺症状が存することが認められる。

右事実のほか、本件事故の態様・シズ子の過失(被害者側の過失というべきである。)その他本件諸般の事情を総合すると、原告昌弘が右受傷によって蒙ったであろう精神的苦痛を慰藉するには、金一〇〇、〇〇〇円を以ってするのが相当と認められる。

(五)  相続関係

原告暹がシズ子の夫であり、原告育代がその長女、原告昌弘がその長男であることは前叙のとおりであるから、原告らは各自三分の一の割合でシズ子の前叙損害賠償請求権をそれぞれ相続したものといわねばならない。そうすると、原告ら各自が相続した損害賠償債権額は、それぞれ金一、四八三、三八九円(円未満切捨)となる。

(六)  弁護士費用

原告らは、被告に対し、叙上のように、シズ子より相続した損害賠償債権および自己固有の損害賠償債権を有するものである。ところで≪証拠省略≫を綜合すると、原告ら代理人上田重義は、昭和四六年三月頃、和歌山県土木部および同県橋本土木事務所を通じて和歌山県知事あてに、本件事故による損害賠償の請求をしたが、これを拒絶されたこと、そこで原告らはやむなく同年一一月三日、弁護士水田耕一に対し、本訴の提起と追行を委任したこと、そして右弁護士報酬として判決認容額の一五パーセントを第一審終了と同時に支払うことを約定したことが認められる。これらの事実のほか本件事案の難易・訴訟追行の経過等の諸事情を綜合すると、原告らが負担するに至った右弁護士費用債務のうち、本件事故と相当因果関係にあり、したがって本件事故による損害として被告に請求できる金額は左記のとおりと認めるのが相当である。

(1)  原告暹につき                     金二〇万円

(2)  原告育代につき                金一八〇、〇〇〇円

(3)  原告昌弘につき                金一八〇、〇〇〇円

(七)  原告らの取得した損害賠償債権のまとめ。

(1)  原告暹

1 シズ子より相続したもの             金一、四八三、三八九円

2 原告暹の固有の慰藉料                金五〇〇、〇〇〇円

3 葬儀費用                       金五〇、〇〇〇円

4 弁護士費用                     金二〇〇、〇〇〇円

5 以上合計                    金二、二三三、三八九円

(2)  原告育代

1 シズ子より相続したもの             金一、四八三、三八九円

2 原告育代固有の慰藉料                金三〇〇、〇〇〇円

3 弁護士費用                     金一八〇、〇〇〇円

4 以上合計                    金一、九六三、三八九円

(3)  原告昌弘

1、シズ子より相続したもの             金一、四八三、三八九円

2、原告昌弘固有の慰藉料(シズ子の死亡によるもの)   金三〇〇、〇〇〇円

3、同じく慰藉料(自己の負傷によるもの)        金一〇〇、〇〇〇円

4、弁護士費用                     金一九〇、〇〇〇円

5、以上合計                    金二、〇七三、三八九円

五、以上のとおりとすれば、被告は原告暹に対し損害金二、二三三、三八九円と弁護士費用を除く金二、〇三三、三八九円に対する本件事故発生日の昭和四五年八月二一日から、弁護士費用相当の内金二〇〇、〇〇〇円に対する事故日の後である昭和四八年一月一七日から各完済に至るまで民法所定年五分の割合による遅延損害金、原告育代に対し、損害金一、九六三、三八九円および弁護士費用を除く内金一、七八三、三八九円に対する同じく昭和四五年八月二一日から、弁護士費用相当の内金一八〇、〇〇〇円に対する同じく昭和四八年一月一七日から各完済に至るまで民法所定年五分の割合による遅延損害金、原告昌弘に対し損害金二、〇七三、三八九円および弁護士費用を除く金一、八八三、三八九円に対する同じく昭和四五年八月二一日から、弁護士費用相当の金一九〇、〇〇〇円に対する同じく昭和四八年一月一七日から各完済に至るまで民法所定年五分の割合による遅延損害金を支払うべき義務があるというべく、原告らの本訴請求は右の限度で理由があるからこれを認容し、その余はいずれも失当としてこれを棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八九条・第九二条・第九三条を、仮執行の宣言につき同法第一九六条を適用し、主文のとおり判決する。

(裁判官 諸富吉嗣)

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